救荒作物として、その伝来の時期から近代までの間に、サツマイモが多くの日本人の命を救ってきたことについて、各時代の代表事例を取り上げて解説した上で、現代において各地で行われている振興策を紹介すると共に、アフガニスタンでの農業支援に希望を抱き 、果ては宇宙食としての可能性に思いを馳せます。
第1章では、第二次世界大戦において、南洋の各所でサツマイモで生き延びた日本兵の事例を紹介します。
第2章では、戦中戦後の食糧難の時代にあって、各地でサツマイモが栽培され日本人の生活を支えてきた様子を紹介します。
第3章では、サツマイモが琉球に伝来し各地に広がっていった様子を解説する傍ら、メキシコからサツマイモを東南アジア各地にもたらした三つのルートを紹介します。
第4章では、薩摩からサツマイモを持ち帰って地元を助け、神として祀られることになった二人の人を紹介します。
第5章では、対馬に伝わるサツマイモの保存食である、カライモのセンを取り上げ、その大変で手間のかかる工程を紹介します。
第6章では、耕作地の狭い天草でのサツマイモを主食とした暮らしの厳しさに触れ、水俣へと出ていった先での、水俣病の被害から公害認定までの長い道のりの一部を解説します。
第7章では、ライバルであるジャガイモとの対決を通じて、東日本と西日本における、それぞれの年代によって嗜好が別れていることを示します。
第8章では、倉敷紡績に働く女工の食生活改善のために、サツマイモを飴として開発された、労研饅頭を紹介します。
第9章では、高度経済成長期に雪深い十日町からの出稼ぎの職種として、焼き芋売りが選ばれていたことを取り上げ、当時焼きいも売りとして出稼ぎのに出ていた人に当時の様子を聞きます。
第10章では、サツマイモを用いた町起こし事例として、埼玉・兵庫・京都・千葉・鹿児島 ・沖縄での取り組みを見ていきます。
終章では、米軍撤退前の2008年当時の、まだ渡辺哲氏も存命のペシャワール会が農業指導をしていた、アフガニスタンでのサツマイモ栽培の定着の様子を紹介した後宇宙食としてのサツマイモの可能性に触れます。
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